わたしだけの意思とバランス感覚

どうも。くるみです。

今日は私のお話を少しします。

 

最初に同性を恋愛対象として意識したのは、確か中学生くらいの頃だったと思います。

ただ、よく聞く”戸惑い”や”自己嫌悪”のような気持ちは全くなく、好きだな、とそれだけ。

そもそも誰に教わるわけでもなく、自分は恋愛対象を性別で分ける”タイプ”の人間ではないことを自覚していたし、同時にそれが世間の”普通”からズレていて、不用意にそのことを周囲に言ってはいけないことも不思議と理解していました。

周囲と違うことを理解しながら、分別をつけて、その違いを肯定していたのです。いいのか悪いのかは置いといて。

 

性的指向についてこう考える自分に納得することができたのは『BAD KIDS』という小説のセリフが大きなきっかけかもしれません。

 

「(前略)それが証拠に、そういうことを何も教えられてない子供たちを、無人島に連れてってほっといてみなさいよ。十年たって全部が全部、男と女のカップルになってたら、かえって驚きだわ。」

(『BAD KIDS』村山由佳

 

確か小学生だったか中学生だったか、そんな頃に読んで強く納得したのです。

それ以来、自分の中で芽生えた感情にも動じることはありませんでした。

 

そんな感じで学生生活を経て、男性との恋愛も経験して今に至ります。

要するに私は、性的指向のせいで傷ついたり苦しんだりしたことは、ほぼないのです。

 

LGBTQ関連の話になると、いじめられたり、差別や周囲の不理解を受けた話が出てきます。

そういったものを目にするたびに、そういう経験をしてこそ初めて一人前のセクシャルマイノリティ!と言われているような気持になって

「大して傷ついた経験もないのに、自分が発信者になるなんて!」と恐れ慄いていたのですが、よく考えたらナンセンスですよね。

だけど、そんな気持ちを持ってる人、少なくないと思う。

 

自分は自分でしかないのだから、自分自身の価値観と経験、感覚を大切にしたい。

 

わたしは今、本当に権利を奪われていると思っているから、必要だと思っているから、こうやって小さいながらに声をあげているけれど、ピンとこないうちはやる必要なんてないし、ピンとこないことは悪いことでもなんでもない。

先頭に立って声をあげる人が偉いなんてことは絶対にない。

 

最終的には、現状よりも平等な社会を求めているのだから、こういった活動の中で新しい区別や差別を生み出さないように、それくらのスマートさとバランス感覚は持っていたいなと、そんなことを考えています。